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WDCとWDSF どうして世界のダンス団体は対立したの?
昨今の日本インターの問題でも取り上げたが、世界ではWDCとWDSFという2大団体が対立をしている。
しかし、対立の経緯を詳しく知っている人間は少ない。
そこで当サイトで、その設立から現在に至るまで、両団体の動きを簡単にまとめてみた。
WDCとWDSFはもともとプロ組織とアマ組織で住み分けられていた
まず、海外でプロ組織ICBDという団体が設立された。これが後のWDCである。
その後アマ組織ICADが設立される。こちらが後のIDSF。さらに後にWDSFとなる。
この頃は二つの組織の関係は表面上は悪くなかった。
アマ組織IDSFは独自にアマチュアの試合を開催していた。そして同時に、オリンピック種目採択に向けた活動も行っていた。
オリンピック種目になるための、条件は様々あったが、IDSFには確実に足りないものがあった。
アマ組織IDSFもプロの存在が欲しかった
オリンピック種目になるためにIDSFに足りないもの。
それはプロの存在だ。
オリンピック種目候補になるためにはプロ、アマの両方のアスリートが必要となる。
そこでIDSFはプロ組織であるWDCと協力すべく、話し合いにいったという。ところが、WDCはIDSFと話し合いどころか門前払いしたそうだ。
そこでIDSFはWDCと内部で対立したメンバーが設立した、プロ組織IPDSCと協調していくこととなる。これが2007年の話。
そして、IDSFはIPDSCを「IDSF PD(プロ部門)」として位置づけし、車椅子、チアリーダー協会、ロックンロール協会、IDSF、IPDSCで新しいアマ、プロアマ組織WDSFを設立していくことになった。
オリンピック種目採択に向けた一連の運動の結果、WDCとWDSFの関係は表面的にも悪化していったのである。
この後、WDCはIDSFの選手をWDC関連の競技会から追放。この出場規制を受けWDCとIDSFは法廷で争うことにまでなった。(WDCが2回敗訴)
そして、WDCはIDUという、「反IDSFの集合体」まで設立し、関係はさらに悪化していったのである。
日本への波及
上記のような経緯で、WDCとWDSFは対立を深めていったのである。
この影響で国内でも、JBDFが、WDSFと関係を深めることで、WDCから除名されてしまったのである。
JBDFはダンス人口増加のためオリンピック種目採択に向けた動きをとっている。同じようにオリンピックを目指すWDSFと関係を深めたい意図は理解できる。
そしてこの問題は、昨年2014年話題となった統一全日本の出場規制問題へとつながっていくのである。
次号へ続く


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